6月1日(2025)
- そんな感じで第二章はじまりはじまり。
- 昨日は何も書いていなかったけど5月31日は「肯定」について考えていた。
- どんな時でも自分で自分を肯定できるようになること。
- 「何かが出来ているから」とか条件付きの肯定ではなくて、あたりまえに今生きている自分をただ肯定する。
- 自分を「すばらしい」とか「良い」と褒めちぎる必要はない。
- ただ、日々どんな自分も否定する必要はない。
- どんな自分も否定しないということが存在を肯定できているということなのではないかと思う。
- 一応昨日考えていたことを簡単にメモっておきたかったのだ。
- まぁ、この辺にしておこう。
- さて、次の月がやってきた!
- 6月が始まった。
- さてさて、何をしようか。
- 新しいノートやカラフルなペン。それに付箋も買った。
- カテゴリーによる分類を用意したけれど、ガン無視する。
- indexに今思っていることをただ書く。
- 気分でまとめてnoteに保存する。
- indexを白紙にする。
- indexに今思っていることをただ書く。
- 映画を見ながら思ったことを書きなぐりたいときはmovieに書く。
6月2日(2025)
- 今日は月曜日。
- 夜はしっかり寝て、気持ちよく起きた。
- 朝から洗い物もして、ご飯も炊いた。
- 配信して気持ちよくおしゃべりもできて、朝から良い気分。
- ただいま9時30分。何をしようかな。
- 7DTDをやろうかな。いや、そこまで「やりたい!」という訳でもない。こういうときは「手っ取り早いところにある快楽」にとりあえず手を伸ばしてもあまり良いことがない。それをすると結果的になぜか退屈してしまうのである。
- 『暇と退屈の倫理学』を読もうかな。
- よし、そうしよう。
- 心の隙間、いや「心の余白」と言おう。
- 心の余白をテキトーにいたずらに快楽で埋めてしまうと、自分の心が分からなくなる。
- 自分の場合はこんな風にフリーライティング的にただ手を動かして書いてみると、その余白から「ちょっとした自分」みたいなものが出てくる。
- それで今みたいに『暇倫』を読もうかなと思ったりするのだ。
- それすらも、ちょっとしたことで通り過ぎたりする。
- それはそれでいい。
- 心とは「川」みたいなもの。
- 流れていくものを全て大切にしすぎなくてもいい。
- ボーッと心を眺める時間があればいい。
- とあるアプリが「このアプリであなたの推しを見つけませんか?」という宣伝をしていて、そういうの好きじゃないという意見を聞いたことがある。
- こういう宣伝は「あなたは推しがいないんですか?(推しがいないのはおかしい)」と言って、本来自分の人生に必要ないはずのものを、煽りたてて欲望をつくり出しているんだろうなと思う。
- 大事なことは、自分にとって必要なものは自分で見つけることだと思う。
- 外部から欲望を刷り込まれて、それに人生の時間やエネルギーを注いでしまうことは個人的には虚しいことだと思うので、自分自身はできるだけそういうことを避けたいと思う。
- 自分が時間を費やす欲望は、自ss分で見つけるのだ。
- 自分にとって費やす価値のある欲望を発見するためには、退屈に飲み込まれないようにすることが必要だと思う。
- 暇つぶしをすることは悪いことじゃない。だけど「ほどほど」にしておくこと。暇つぶしに「溺れて」はいけないのだ。
- さてと、何かにつけてPPを書いているを書いているけれど、はたしてこれでいいのだろうか。
- フリーライティングが習慣化されている?
- 負荷がかかっていないから、PPを書くことが暇つぶしになってしまっている。
- 書くことに負荷がかかっており、ちょっと書くことにしんどさがあるくらいがいい。
- Englishページをつくった。
- とりあえず「わかりやすく伝える」練習をする。
- ただの情報はおもしろくないと思っていた。
- 情報を無駄なく伝えることよりも、どうすればおもしろい話ができるかに興味があった。
- しかし、おもしろい話をするために「分かりやすく伝える」ことは必要不可欠である。
- 分かりやすく伝えられるようになったら、その上でおもしろくしゃべれるようになればいい。
- 今はそう思っている。