5月20日(2025)
- 「運」に興味を持っている。
- 「運というのは、誰にでもどこにでも平等に流れていると思う」
5月22日(2025)
- 映画『インターンシップ』を見た。
- 率直に今の自分にとって、とても良かった。
- インターンシップを見て「ポジティブであることは大切だ」と思うかもしれない。
- 日本的な「ポジティブ=前向きになること」という意味で言えば、ポジティブであることが大切だという信念は危ういと思っている。
- インターンシップは確かに「明るく挫けず挑戦的である」とは思う。
- しかし、単純にポジティブであるかというと、そうは思わない。実際ニックもビリーも凹むときは凹んでいる。
- ニックとビリーは他の人と比べて「いけるぜ!いける!」と元気よく持っていこうとする方だとは思う。
- あくまで先ずは「肯定的」であり、そこから腰を上げていくまでが早いのだと思う。どれだけ短くとも「前向き」の前にちゃんと「肯定的であること」を経ていると思う。
- できるだけ日々を楽しくすごしたい。あそこまで明るいのはそれこそ映画の中の話で現実はもっと静かに楽しくなのかもしれないけれど。
- 自分の場合、現実を直視していないから楽観的なだけではないか。いや、しかしだ。目の前の問題と向き合ったり改善していくために現実を見る必要はあるだろうけど、シリアスに現実を見るだけの人はユーモアを忘れているのではないか。
5月23日(2025)
- NON STYLE 石田明さんの著書『答え合わせ』を読んでいる。
- 「おもろいやつには”意見”がある」の所が好き。
- 自分が何をしたいのかはまだ明確じゃない。
- おもしろいことがしたいのは確かだと思う。
- とりあえず意見を持つようにしていこうと思う。
- 仮におもしろいラジオをつくれたとして「それで何になるねん」と思っている自分もいる。
- 今の自分の状況がそう思わせるのだろう。
- 「そんな金になるかも分からないことに時間を使っている場合じゃないだろう」と。
- 実際、音声は仕事にならないと思っている。小遣い稼ぎはできてもそれで生計をある程度立てていけると思えない。
- だけど、そんなこと言ってたらなにもできなくないだろうか。
- 逆に「これをやれば絶対いける」なんてことあるか。
- ここで映画『インターンシップ』の登場だ。
- ビリー「毎日ワクワクするような人生を送りたいんだ!それって最高だろ?」
- あぁ、最高だ!!!俺もそっちがいい!!!
- だけど「そっちがいい」と思うだけじゃダメだ。
- 行動を起こさないと。
- この映画を2回目見直すと「初期のビリーはかなり無謀なのではないか」と思えたりする。
- 実際映画だからこそ、逆転があるけれど、実際はそんなに甘くないだろうと思ったりもする。
- しかし、考えてみよう。
- 僕たちがどんな挑戦をしてもビリーたちがした挑戦よりは遥かにイージーだと思わないか。
5月25日(2025)
- 「運」に興味を持っている2。
- 運を身につける目的が「失敗しないため」なら間違っている。
- 運とか関係なく失敗を恐れてたら成長は無い。
- これも運なのかは分からないけど、強いて言うなら失敗したときに助けてくれる人がいたり、教えてくれる人がいたり「頼れる人がいる」ことや、そういう人を頼ることができることが運を良くする姿勢かもしれない。
- 「自分は運が良いか?」と質問されたら、間違いなく運は悪くないと思う。
- 「運がいい」と言わずに「運はわるくない」と言ったのはなぜか。
- 基本的に恵まれている方だと思う。だけど、自分の持っているものを、どれだけ自分が活かせているかというと、まだまだ活かせていないと思う。だから「運は悪くない」と言った。
- 持っている運を活かすのは自分次第。
- 傍から見ていてスタート地点が過酷だなと思う人もいる。比較するのは、そういう人に失礼ではあるが、やはりそういう人と比べても自分はラッキーな方だと思う。
- 大概の人が割とラッキーだったりするのではないか。
- 難しいのは「運がない」ことではなく「持っている運を活かす」事ではないかと思う。
- 「運を活かす」とは何だろうか。
- 「自分は運がいいから何とかなる」という言葉は、自分の行動がどうなっているかによって良し悪しが分かれる。
- 自分は運がいいから何とかなると「何もしない」理由にしてはいけない。
- 「運がいいからこそ」「何とかなるからこそ」行動を起こすのだと思う。
- そうじゃなきゃ『インターンシップ』のビリーにはなれない。
- だからといって無謀になれということではないが。
- 成果を出そうとするが、すぐに成果が出なくても「つづける」こと。
- 成果を出そうとするということは、目的がある。
- たとえば「部屋をキレイにする」という目的があって「ここが片付いた」という成果がある。
- 言うほど、目的っぽいものがない。
- 「何かで一位になる」とか「どこかの大会を目指す」とか。
- 「おもしろいものを作りたいな」とか「これやってみたら、どうなるんやろう」という好奇心くらいはある。
- そんなことは、やってみたらおわりである。
- そんなことすら、やらずに過ぎるのだけど。
- やってみると、それが終わったら暇になって「次何しよかな」と思ってブラブラする。時にやりたいことがないままに色んなことに手を出してみたりする。
- 目的なんてなくてもいいのではないか。
- そんな感じで行動をし続けて、転がり続ければ、思いもしないところに辿り着いている。
- むしろ、目的を持つことに囚われて、いつまでも目的探しをしていたら時間ばかりが過ぎるのだと思う。
- 森岡さんが言っていたことを思い出す。
- やりたいことは、大体「できそうなこと」の先にある。
- だから、先に「できそうなこと」を増やすのだと。
- できそうなこと。
- 自分にでき「そうな」ことを狭めてしまった人。
- あるアーティストの友達は言う。
- 「20代なんて、何もできなくて当たり前ですよ~。そんなこと言ってたら何もできないですよ~。できないところから、できるようになっていくんですよ~」と。
- あの人、行動力溢れる人だったなと思う。
- 完全に自分の範囲外であろう事にも飛び込んで、がむしゃらにゼロから勉強していた。勉強の仕方も分からないところから、自分なりの仕方を見つけることにもがむしゃらだった気がする。
- だけど、人に聞いた方が早いこととかは迷わず人に聞いていたと思う。
- そういうところが「運がいい」人の行動なのかもしれない。
- 「やれること」ではなく「やってみたいこと」「おもしろそうなこと」はとにかくやってみるタイプだったと思う。
- 人は「できそう」と思ったことを「やりたい」と思う。
- けれど、今はできなくても「やりたい」と思う。
- 自分は「(今はできないけど)やりたい」と思うことが最近あるだろうか。
- 実際問題、ある程度年齢を重ねていく内に「自分にできなさそうなこと」が見えてくる。
- うそ。本当は見えてないのに、見えた気になっているだけ。
- しかし、これが厄介だ。
- どうするか。
- とにかく良い感じに経験してしまえば「なんだ、案外できるじゃん。たのしい」と思うことはあった。
- 一旦目的なんてなくていいから「毎日手を動かして何かをつくる」とか新しい経験をできるような一日になるように、日々を改革しよう。
5月27日①(2025)
- やるべきこと。
- 特別なことはしなくていい。やるべきことをやるだけでいい。
- だいたい、やるべきことをやっていなくて焦るのだ。
- まちがった選択をすれば、その選択にいつか窮屈な思いをさせられる。
- そうなったら、そのときまた選択をすればいい。
- 人生は選択の連続だとアブトも言っていただろう。
- 「たかがゲームじゃないか」と。
- 一番よくないのは、選択を先送りにすることだ。
- 選択を先送りにしたからといって、今より正しい選択ができるわけでもない。時間と選択の良し悪しは単純に比例するものではない。
- それよりも選択して、また後で選択を重ねていけばいいのだ。その方が、経験も詰めて、その経験によって「次の選択を考える」ことができるようになる。
- 選択してより良いものにしていくには「経験」が必要な要素だろう。
5月27日②(2025)
- 少しでも骨太な記事や音声にしたい。
- 「○○の映画を見ました。私はこう思いました」だけでは強度にムラがある。
- 『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』
- たしかに、なにか自分にとっての驚きがほしいかもしれない。
- しかし論文ではなく記事や音声なので、そこまで反論可能なテーゼである必要があるだろうか。
- ネットに溢れている「言ってやりました」感のある逆張りドヤ顔文章みたいなのは好きじゃない。
- でも何か価値のあることをしたいんでしょ。
- 価値か~。
5月28日(2025)
- そこまでは(公開せずに)書き続けること。
- ひとつのやり方はフリーライティングだろう。
- とにかく書いてみることだ。
- 書き出してみると思っていたより大したことなかったり、うまく書けなかったりでストレスも感じるだろう。
- だからこそ、避けたくなる部分でもあるが、逆に言うとこれさえすれば少しは味のある文章や音声になるかもしれない。
- 「何もない」から「何かを見つける」ために書くのである。